特に何もない1日になりました

 地元のローカルテレビ局で小学校1年生から高校生までの授業動画番組が始まりました。県教委がつくったのでしょう。GW中に各学年各教科1回ずつの放送があります。今日は、中3理科、中1国語を見ましたが、1週間にどの教科も一コマ分の授業しかできない感じです。毎日5教科が受けられればいいのですが、生徒は1日1教科だけですのでどれくらいの効果が期待できるのかわかりません。また、内容もスーツを着た真面目そうな知らない先生が真面目に話をしていて、一方的な感じになっているので、生徒の関心を引くことはできないでしょう。やはり動画を学校単位で作って配信すると良いと思います。自分の学校の先生が出てきて、簡単に世間話をしてから

「では教科書の4ページをひらいてください」「考えたことをノートに書いてください」「ではワークの何ページをいつものように5分でやります」「よーいはじめ」「ノートは今度の登校日にチェックするので、きちんとまとめておいてください」

のように身近な感じで楽しく進めていければある程度の効果も上がると思います。そして、週に1教科を3回の授業を行うというペースで・・・

 そんなシステムがつくれないだろうか?

なんだか変なことを言っている気がします

 今日は、小1、小6、中3だけ特別に授業を進めるということがでました。ということは、それ以外の学年は、来年の中1、高1、小2に比べて学習量が少ないので、来年1年間に今年できていない部分を詰め込むということになるのでしょうか。かわいそうなのは、小1、小6、中3だけではありません。どの学年もその学年でやるべきことをやれなのですから、とりあえず入試のことだけを考えるような、その場を取り繕う策はやめた方がいいです。あとでかならず遺恨が残ります。やはりやるなら2つ!

 「始まりを遅らせる」か、「学習内容を減らし、ずらして、数年計画でもとに戻す」かです。とにかく付け焼刃の対策やってはいけないと思います。責任ある立場にある人、学校なら管理職の人たちは、責任をもって、寝る時間を削っても、情報をあつめ変化する今の状況に繰り返し対応していく覚悟でやるしかないのです。

 このあと非常事態宣言が解除され、学校が始まることになったら、当分の間これまでのような生活はできないと考えた方がよいと思います。クラスの中にコロナに感染している生徒がいると仮定して、絶対に感染しないような方法を考えなければなりません。エアコンを使ってよいのか、休み時間の過ごし方はどうするのか、音楽は歌えないとしたら楽器?バスの遠足はできるか、給食当番のありかたは?

 本当なら、学校が開始する前に、全員が抗体検査を実施して、陰性が確定していることを確かめてから開始する。そして、1週間に1度、定期的に検査をする。これくらいのことができれば、少しは安心できるし、クラスターをある程度防ぐことができるかもしれません。修学旅行のような宿泊的行事は当分中止でしょう。

 どんな対策を行うにしても、今は希望的な観測はやめて、大変だろうけど思い切った対策を立てなければならない状況になりました。9月始まりを見越して年間計画、教育課程を作り直せというならすぐ取り掛かるし、動画を撮れというなら明日からでも始めます。感染しない対策を考えろというならすぐに調査に入ります。この5連休を無駄にしたくはないので組織として動いてくれることを期待します。

”自粛”意味をよく考えよう

 緊急事態宣言が延長になり、外出の自粛が続きます。さまざま業種に自粛要請をして、市民は外出を自粛することを要請しています。このまま人の動きがなくなれば、ウイルスの広がりが抑えられますが、薬の開発をただただ待つばかりという状態が続きます。それは半年?1年?それまで経済は持つでしょうか?

 海外は少しずつ緩めていて、中国などの様子をみると信じられないほど密な状態です。本当に大丈夫なのだろうか?真実を伝えているのだろうか?と思ってしまいます。一方感染爆発して多くの命が失われたヨーロッパはひととおりの人が感染し、多くの命とひきかえに日常がもどってくることになるのかもしれません。日本ができるだけ多くの人を助けようとしているうちに、世界がもとにもどり、日本だけが取り残されるなんてことになるのでしょうか。だとすれば、日本は他国のように都市封鎖や外出禁止という対策ではなく、経済活動や外出も許しながら、感染しない対策をとれないだろうか。一人一人の理性でそれが実現できないだろうかと思います。パチンコ店も感染しない画期的な方法を考えて欲しいものです。もしよい方法を考え出したら開店してもよいことにすればいいのです。でも子供達には無理だから学校は9月まで休みでよいので、それまでに、ある程度、安定した状態を実現してほしいと思います。

 学校の9月開始の議論を各県の知事たちが話し合ったとき、今はそれどころじゃない。命を助けることを全てに優先させるべきで余計な議論をしている時間はないようなことを言っている人もいました。よほど自分に余裕がないのかもしれませんが、これだけ多くの人間がいるのに全員が同じことを考えるなんて無駄が多すぎると思います。役割を分担して行えばよいのです。感染拡大を防ぐための対策を考えるのは100万人くらいでやって、経済対策を考えるのも100万人でやっても、まだまだたくさんの人がいます。(100万人で考えればある程度の意見は出尽くすでしょう)それぞれの人がそれぞれの専門性を生かしていろいろな対策を同時にやっていかなければ、いざというとき間に合いません。もう少し、自分とは違う種類の人の力を認めるとよいと思います。国民が一致団結するというのはそういうことだと思います。

 

ついにきた、9月始業式について

 ついに9月始業式案が表面化しました。一か月ほど前に、学校で今後の対策を議論した時、コロナウイルスは1年で収まるかどうかわからないし、もし薬が予定外に早くできても半年くらいはかかるのだろうと思っていたので、「この際、半年休校にして9月開始にした方がよい。こんな時だから強引にできるかもしれない」と話をしたら、「無理だ」とだれにも相手にしてもらえんせんでした。それからというもの、何とか授業時数を確保するために、子供たちにとって、無理のある計画をいろいろと考えていたのです。

 確かに、この計画を実現するには、事務的な手続きが膨大になり様々なシステムの変更もあるので本当なら数年をかけて行うものだと思います。しかし、おそらく文部科学省では、頭の良い人たちによってすでにシミュレーションができていると思うので、日程をつめてつめてつめて、そしてみんなが必死になって取り組めばできちゃのではないでしょうか。国際基準にもなるし、東大も考えていたのだからこの際やってしまいましょう。混乱するかもしれませんが、今の方がもっと混乱しているのだから・・・。

 ただし、条件があります。なんとしてでもコロナを半年で収束させる!医療体制をしっかり整え、薬を身近なものとし、学校再開で広がるであろう子供たちの感染に完璧に備える体制をつくり、インフルエンザ程度に「感染しても治る」ようにしておくことです。あわよくばワクチンを完成させることです。そのために日本中が知恵を結集して頑張ることです。

 幸いにも、あと半年私たち教員には時間がたくさんあります。9月開始の準備に協力できるのだから、どんどん使ってくれればよいと思います。

休校延長に伴う授業の進め方についての一案

 5月6日まで休校が続いているところですが、5月一杯の延長を視野に入れ、学習の進め方について検討しました。5月7日8日に午前中に分散登校日とし、5月中は1週間ごとに午前中登校日を行うという設定です。この登校日を利用して、どうすれば授業を進めていけるかということです。

 7日は出席番号奇数組、8日は偶数組が登校。5教科の授業を25分×5教科とします。まだ教科担任と生徒達との顔合わせができていないので、まず「自己紹介」、次に「宿題のチェック」、そして「教科の進め方」、最後に「次の1週間の家庭での自主学習の方法と内容」を専門の教科の先生から説明をします。これで25分。ガイダンス的なものです。このとき、これまでやってきた課題の質問を受けますが、時間がないので後日学校HPで回答します。今の状況ではこれくらいが精いっぱいだと思います。

 あとは生徒たちが自宅でやれるかどうかにかかっています。環境が整い、やる気と集中力のある生徒とやれない生徒の格差が出てしまうと思います。しかし、この状況ですから、残念ながら通常のように全生徒へのきめ細かな指導はできません。個々の状態に応じて頑張ってもらうしかないと思います。

 更に、6月7月と延長したら、次は動画配信やウェブ会議そして、最後は教育課程の削減なども考えていかなければならないでしょう。そうなった時、また対策を考えます。

 何をしても泥縄式で進めている感じがしていますが(心の底から実感しています)まだ正式な決定は出ていないけれども具体的な対策はそれが実行されなくても準備だけはしておきたいと思います。その時使わなくても、きっと次につながることなので・・・。

ペストやスペイン風邪の教訓から

 緊急事態宣言が5月6日までという発表は、もし発信時点で6月までにしてしまうと、その時点で日本中がちょっとしたパニックを起こしてしまうからのような気がします。今後の収束までの道筋を考えると、ワクチン、特効薬ができるか、ひととおりみんなが感染し、自然抗体ができるまでという2択しかありません。6月から世界が元通りになるなんてことは、不可能です。100年前のスペイン風邪の収束まで2年、14世紀の黒死病は30年かかったといわれています。そして、前者がり患数6億人、死者4000万人、後者は当時のヨーロッパ人口の3分の1が死んだといわれているそうです。科学が進んだ現代とはいえ、今のところ方法は他人と接触を減らすことしかなく、スペイン風邪の時と同じです。ですから簡単に収束するとは考えず、長期戦を覚悟しなければならないと思うのです。たぶん日本政府もそれはわかっているのだと思います。だから、おそらくGW中に緊急事態宣言の延長が発信されると思います。

 100年前だったら、休校を続けて徹底的に感染しないようにしてウイルスがなくなるのを待つか、普通に生活してみんなが感染して生き残るしか方法はないでしょう。でも経済が破綻して飢え死にする人が増え、社会が不安定になり、感染によって死んでしまう人が多く出ることになるでしょう。過去の収束はそんなものでした。でも今回は違います。死者を減らすために医療崩壊を防ぎ、経済を守り、そして教育も守っていこうとしています。歴史上できなかったことをやろうとしているのです。

 医療と科学技術の発達がそれを可能にしているのです。医療を守るのは、お医者さんや看護師さんなどの医療関係者に、経済は財界や企業や国やお店のみなさんに、そして教育は私たち教育関係者が分担してそれぞれの役割を担って守っていくようにしなくてはなりません。何とかなるだろうとか何とかしてくれるだろうではなく、自分で考えて、攻めの気持ちで工夫していかなければなりません。

 学校としては、今はプリントをつくって配布することくらいしかやっていません。しかし、この後休校が何か月かかるかわからないのだから、何とかコミュニケーションの方法を確立して(テレビ、ネットなど)子供達や生徒たちを安心させる方法を自分たちで確立していく努力をしなくてはならないと思います。政府の発表を待っていてもしょうがないのだから、次の手を考えどんどん進めていくようにすればいいと思います。先生たちは時間があるのだから、毎日の授業の動画をとったりすることはできるのです。動画は全員が見れないからやらないという人がいるけれどそれは怠慢でしかない。見れない人は数人いるなら、学校で上映すればいいのです。教室に数人来るくらいなんでもないことです。

 市役所や学校が在宅勤務なんてしている暇なんかないと思うのです。感染しないように十分に注意しながら頑張るしかないでしょう。(市役所の人は、看護の仕方を勉強して、この後くるであろうホテルでの軽症者の看護の手伝いや移送、検査の実施、保健所の手伝いなどの準備を始めてほしいです)

マスクについて考える

 マスクがないないと騒がれていますが、最近は多くの人が手作りマスクをするようになり、一般的な花粉症用のマスク(サージカルマスク)がなくても大丈夫だとわかりました。自分の年齢だと、アベノマスクが一般的なマスクというイメージが強かったので、マスクがなくなると騒いでいるのが不思議な感じもしましたが若い人にとってはサージルマスクが一般的なようです。このマスクの隙間は数マイクロメートルなので、コロナウイルス(0.1㎛)は、この隙間を自由に通り抜けらます。コロナウイルスは浮遊しているエアロゾル(1μmくらい)にくっついているようなので、これも吸い込んでしまいますが、唾液のしぶきなどは防げるだろうし、自分の唾液を飛ばさない効果もあるでしょう。その点では、ガーゼで作った布マスクと大差はないと思います。

 さて、サージカルマスクの不織布とはどんなものでしょうか。一見紙のように見えますが、材料がポリエステルやポリプロピレンなので水にぬれても大丈夫です。顕微鏡で撮った写真を見てみましょう。細い繊維状のものがところどころで不規則に固まっています。これは紙と同じような構造をしていますが繊維1本1本が紙より長いのでどちらかといえば布に分類されています。(紙より破りにくいです)この細い繊維を縦糸と横糸にして織っていくと布になります。でも不織布は、ぎゅっとおしつけるだけでできるので、布より簡単で安価にできるようです。ですから、サージカルマスクも洗って再利用することもできますが布よりも接合が弱いので繊維どうしの接着がとれやすく型崩れしやすいようです。

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ということで、マスクが手に入りにくい今、自分で作るのもめんどうなので、サージカルマスクを洗って使っています。漂白剤につけおきして、丁寧に洗えば何度でも使えます。