”自粛”意味をよく考えよう

 緊急事態宣言が延長になり、外出の自粛が続きます。さまざま業種に自粛要請をして、市民は外出を自粛することを要請しています。このまま人の動きがなくなれば、ウイルスの広がりが抑えられますが、薬の開発をただただ待つばかりという状態が続きます。それは半年?1年?それまで経済は持つでしょうか?

 海外は少しずつ緩めていて、中国などの様子をみると信じられないほど密な状態です。本当に大丈夫なのだろうか?真実を伝えているのだろうか?と思ってしまいます。一方感染爆発して多くの命が失われたヨーロッパはひととおりの人が感染し、多くの命とひきかえに日常がもどってくることになるのかもしれません。日本ができるだけ多くの人を助けようとしているうちに、世界がもとにもどり、日本だけが取り残されるなんてことになるのでしょうか。だとすれば、日本は他国のように都市封鎖や外出禁止という対策ではなく、経済活動や外出も許しながら、感染しない対策をとれないだろうか。一人一人の理性でそれが実現できないだろうかと思います。パチンコ店も感染しない画期的な方法を考えて欲しいものです。もしよい方法を考え出したら開店してもよいことにすればいいのです。でも子供達には無理だから学校は9月まで休みでよいので、それまでに、ある程度、安定した状態を実現してほしいと思います。

 学校の9月開始の議論を各県の知事たちが話し合ったとき、今はそれどころじゃない。命を助けることを全てに優先させるべきで余計な議論をしている時間はないようなことを言っている人もいました。よほど自分に余裕がないのかもしれませんが、これだけ多くの人間がいるのに全員が同じことを考えるなんて無駄が多すぎると思います。役割を分担して行えばよいのです。感染拡大を防ぐための対策を考えるのは100万人くらいでやって、経済対策を考えるのも100万人でやっても、まだまだたくさんの人がいます。(100万人で考えればある程度の意見は出尽くすでしょう)それぞれの人がそれぞれの専門性を生かしていろいろな対策を同時にやっていかなければ、いざというとき間に合いません。もう少し、自分とは違う種類の人の力を認めるとよいと思います。国民が一致団結するというのはそういうことだと思います。