冬休みになりました

 今年の1月ごろから、コロナウイルスが騒がれ始め、今となっては想像を超える大惨事となってしまいました。そんな時間も今1年が過ぎようとしています。2020年が100年後の歴史の教科書にどのように記載されているのでしょうね。

 思えば、自分が生きてきた数十年で、これほど大変な年はありませんでした。これが誰かの過失によるものか、あるいは自然発生的なものだとすると大変なことです。これからの世の中が不安定すぎます。むしろこれが誰かの陰謀であった方がまだましです。人間の制御の下で行われたことだからです。

 どこかの国の思惑か、人口の増えすぎた地球の大掃除のつもりか、人類の未来のための100年計画かもしれません。考えようによっては、いろいろな陰謀が思い描けます。自然災害、過失、陰謀のいずれにしても、小市民の自分は自分の周りの生活だけを世の中の流れに身を任せながら、なんとか対応していくしかありません。小さなことをひとつひとつ片づけていくしかないようです。

 本題です。新学習指導要領で重要視されている「探求型の学び」を授業で行うために、教える方が「探求型の学び」の方法を身に着けていなければなりませんが、果たしてどれだけの教師がそれを実行できるのでしょうか。記憶ー知識ー理解ー応用ー分析ー評価ー創造という流れを意識してカリキュラムをマネジメントしていくことを、各教科でどの場面でどのように進めていくのか自分にはわかりませんが理科では次のような試みをしました。

 1年生の「密度」の単元で、密度の意味の理解から、プラスチックの判別の一連の流れを「探求型の学び」を意識して行いました。目的は決まっているので、このテーマにどれだけ興味を持てるかは保証できませんが、多くの生徒がある程度の興味を示していました。一連の学習の中で、液体の密度について実験を行ったとき、これを判別に応用できることに気づいたことに感動していた生徒がいたのが印象的でした。授業では問題を解決するためのいろいろな小道具をこちらで用意して、それをどう使うか考えることが学習になり、「探求の方法を学ぶ」ための一授業ですが、こういった経験を積むことで、探求の方法を身に着けていくのだと思いました。グループで実験の指揮をとっている生徒、進んで手を動かしている生徒、記録を丁寧にとり分析をしている生徒、あまり深く考えていないけれども楽しそうにやっている生徒、的外れなことをやり始めた生徒などいろいろの生徒の様子が見られましたが、ほとんどの生徒が生き生きと活動していた様子を見ていると、良い経験をしているのだと感じました。