危機が迫っているからこそできること

 今日は、休暇をもらって、相模原市へ行ってきました。橋本駅に行ったのですが、東京で新型肺炎が大変なことになっているので、余計なものには触らないようにして、マイクロ飛沫を吸い込まないように十分注意したつもりです。軽症な人がほとんどだといっても、重症化するとたいへんです。人工呼吸器というのは想像以上にたいへんなものなので・・・。今のような状況になると、対岸の火事ではすまなくなってきました。本当に4月から普通に学校が始まるのかも心配です。

 もしかしたら平和な日本でも生命の危険を身近に感じるという数十年ぶりの人類の危機なのかもしれません。東日本大震災や昨年の全国的な洪水で被害にあわれた人がたくさんいましたが、自分の周辺では変わらぬ日常が続いていたので、このまま日常がずーと続くのではないかという幻想にとらわれていました。

 最近歴史に興味を持つようになりました。特に中世から近世ヨーロッパの歴史を見渡してみると、戦争、災害、感染症など激動の1000年間という感じで、「昔は大変だったなあ」と感じます。しかし、考えてみると自分はまだ数十年しか生きていません。1000年後の人から見れば、戦後70年の平和は、歴史で見るとほんの一瞬で、「2000年ごろはいろいろあって大変だったなあ」と思っているかも知れないのです。歴史はやっぱり繰り返されるのでしょう。

 だとすると、自分がこの時代に生きる意味は何なのでしょうか。

 平和ボケした日本で、今回のような生命の危機が迫っている状況になったからこそ、これまで考えたことがないようなことまで考えるようになりました。とりあえず、あまり小さいことにとらわれずに、自分のできることを、自分が一番役立つ方法でやるようにするしかないか・・・。