本当に楽しい授業を目指そう
杜の都からこんにちは、今日から自分の考えをまとめるという目的でブログをはじめました。テーマは、「本当に必要な授業の在り方について考える」という大まじめな話です。もし共感できる人がいれば幸いです。
例えば、国は国際競争力を高めるためには教育が重要だということで、学力を上げるためにいろいろな対策を行ってきました。その1つに全国学力状況調査があります。全国一斉に同じテストをやって、自分自身の分析を行うためのデータを集めるというものです。昨年からは、英語のリスニングまで実施されました。しかし、実際は「個々の子供たちの分析をして指導に役立てる」ことは難しく、ほとんどやりっぱなしという状態です。(時間に余裕がないので)あろうことか、平均点をあげるために過去問をやらせて平均点を上げる対策を行うようにもなっています。(点数が上がって悪い気はしないが)
以上のことは1つの例ですが、いろいろな教育がこの例のような調子で行われてしまいます。(学力調査が悪いというのではありません。活用の仕方を考えようということです)しかし、それで本当に学力が高まっていくのでしょうか。そこで、子供の将来を長い目で見たときどういう視点で学習指導を行っていけばよいのかを考えていきたいと思います。
まず、次のようなことについて考えていきます。教員の実態についてです。
1 小中学校の先生になりたい人とは
小中学校の先生になりたいと考えている人の特徴は
・生徒会に所属している
・勉強が結構よくできる
・部活動を一生懸命やっている。
・ひとなつこい(とくに先生とはなかよし)
・きまりをよく守る
逆に先生になろうとしていない人は
・生徒会に関心がない
・勉強とてもよくできる(トップ層)または、勉強は苦手
・部活動は普通にやっている
・先生に話しかけることはあまりない
・学校の方針に対して批判的
先生になりたい人は、先生にとってはとてもいい子です。それは価値観が似ているので当たり前のことです。そういう人たちが先生になって学校を運営していくのですから、同じ価値観の生徒たちにとっては学校という職場はたいへん居心地がよく見えるものです。
例:部活動の指導で、とても厳しく生徒に接すことがあり、それが原因で部活動をやめてしまう生徒もいます。しかし、指導者は、厳しくてもそれを乗り越える経験が大切だという価値観があるので仕方ないと考えます。自分がその厳しさを乗り越えてきた人だからです。乗り越えられた人が先生になり、そうでない人は先生になりません。
今の時代は、価値観が多様化していて、自分と異なる価値観だらけです。今はゲームは悪と考える大人が多くいますが、そのうち多くの先生がゲーム世代になっていけば、指導の在り方も変わるのだろうと思います。だから、自分とは違う価値観をもつ人をかなり尊重することが必要になってくると思うのです。実際、子供たちの大半は学校の先生になりたいとは思っていないのですから。
先生になる人は、誠実で気が利く人が多いと思いますが、自分の価値観を押し付けすぎる傾向があります。是非、すべての子供たちに対して、それぞれの立場を尊重して、同じくらい気にかけてあげられるようにしていきたいものです。
今日の作品 ねこ1